細井のにっき

全部フィクションです

テレビのインタビューで「子のつく名前はダサい」と言い放った青年

先日SNSに、

昨日NHKのお名前の番組で、昔ながらの「子」のつく名前が最近人気がある、という話題を取り上げていた。街頭インタビューで、「子」のつく名前をどう思いますか。ときかれた青年が「ダサい」と即答してて想像力のなさにびっくりした。知り合いにとどまらず全国の○子さんを敵に回したわけで、テレビで顔出してその言葉はこのさき生きづらくなるだけでは… 

という投稿をしたら、

「子はダサくないですよ!」

「子がつく名前の人の方が頭が良いというデータがある」

「昔は身分の高い人の名前」

みたいなコメントがいっぱいついてアーってなった。


子とか名前とかダサいとかはどうでもよくて(ダサいとかダサくないとかは各々勝手に思えばいい)、後先考えず自分にめちゃくちゃ不利な発言をかます青年の怖い物知らずっぷりに驚いたということが言いたかった。「スタバでMacBook広げてる奴ダサい」と公言するのとはわけがちがう。直後のスタジオのゆうこりんの表情は全国の○子さんの心情そのものだった。彼の周り、あの顔の女性ばかりになるんだなと思うと、ご愁傷さまとしか言いようがない。

かくいう私も子のつく名をとくに擁護しているわけではなく、内心ダサいと思ってるかもしれないけど仮に思ってたとしてもそれを今の日本で言ったらどうなるかはわかるし、殆どの人がそうだと思う。 人の名前や容姿については、内心どう思おうが「超Eね!」と褒めまくって生きていくほうがEよね。

おわり。

断乳

わけあって、断乳することにした。

母乳をやれたのは最初の2ヶ月くらい。満足に出なかったけど、これからもっと出るようになるといわれて頑張ろうと思った矢先に断乳を決めることとなった。

乳やれなくなるのがこんなにさびしいことだと思わなかった。産後うつとはちょっと違うけど、私にとって妊娠〜出産後数ヶ月という一連のイベントの中で一番精神的につらく感じることとなってしまった。

ミルク育児してるお母さんだっていっぱいいるし、気にすることじゃないのはわかってるけど、あの幸せな時間というのは本当に母親の特権だったのだと思う。

(出産メモ)死ぬほど痛かったラミナリア

出産から二ヶ月が経った。

 

妊娠〜出産は色々ありつつも楽しかったしまたやりたいくらいだけど、一つだけもうやりたくないことがある。

それは・・・ラミナリア

水分を含むと膨らむ昆布のようなもので、お産の前日から産道に入れて拡張させるのに使う。

この処置が痛かった。本当に痛かった。人生で一番痛かった。

挿入というより、突き刺す感じ。

あれに比べたら陣痛なんてへのかっぱだった。

しかも抜くときも同じくらい痛い。

ググると失神しそうになってた人までいた。(中には痛くないという人もいる)(発言小町の体験談の数々を読むと壮絶)。

検索してはいけないワード「ラミナリア」!

 

子どもみたいにヒエーってなって涙目になりながら助産師さんに「出産はこれより痛いんですか?」と言ったら「はい」っていってたけど、大嘘だった。

 

女性の皆様におかれましては、病院でラミナリアやるっていわれたら全速力で逃げましょう!

石岡さんが家に来る

一ヶ月くらい前に、島田荘司の異邦の騎士を読んだ。
有名な作品ですよね。

記憶喪失の主人公が、記憶をなくす前の自分が書き残したと思われるノートを手がかりに自分の住所に行くシーンで、わたしは興奮した。

電車を降りて駅から歩いていくのだけど、改札を出て右、突き当りを左……というように細かく経路が書かれている。グーグルマップみたいだ。
(実在する土地のことを細かく書くのは島田荘司特有の表現らしい)

私がなぜ興奮したかというと、その経路がめちゃめちゃウチの近くを通るのだ。

ああっ今そこの信号渡った!
そこ、そこを歩いてる今!
窓から手振ったら見えるぞこれ。
ウチに来るんじゃないの?(お茶の用意)

読み進めながら震えた。
ネバーエンディングストーリーのバスチアンもこんな気持ちだったんだろうな。

駅もウチの最寄り駅だし、まさにいつも通ってる道だからあと何分で来るのかわかる (たぶん来ないけど)。

主人公が到着するアパートはウチをちょっと過ぎたところだった。
惜しい!
区境をまたいで隣の区になるけどまあ近い。
(ほぼその辺りには昔知人が住んでいたアパートがあって、その知人も島田荘司が好きなのでそのことを話したらやっぱりそのシーンをよく覚えていた)

すごい臨場感!…というかリアルなそこにいるわけだから臨場感ではないのか。

とにかく、主人公が復讐殺人に踏み出すシーンより手に汗を握ったってわけ。

以上、伝わりそうもない興奮を語ってみました。個人情報バレバレや。

チョコを人んちに届けにいく楽しさ

子どもの頃はバレンタインデーの放課後が楽しみだった。

駄菓子屋でチョコを買って、友だちの家を周ってチョコを交換して歩く。

あげるのは男女関係ない。友だちと一緒に好きなだけチョコを食べてもいい日という認識だった。

おまけに夜になると、父親が会社でもらってきた義理チョコがやってくる。クリスマス、正月に次いで楽しみな日だった。

 

中学高校になると、放課後にそんなガキっぽいことはしなくなる。管理教育でおなじみの千葉の中高は厳しく、学校にお菓子をもっていくと怒られるので、外国人の英語教師(甘い)にあげたりして盛り上がることくらいだった。

 

大人になってからは、会社で義理チョコを配るようなこともせず、ぼんやりとした行事に成り下がってしまった。

 

今年のバレンタインは「豆腐の生チョコ」を作ったら、豆腐の水切りが足りなかったようで固まらなかった。

しかたなく市販のものを買って、近所の友人らにあげにいった。

今は昔と違う土地に住んでいるけど、たまたま近所に友人が何人か住んでいる。

ご近所さんというのがポイントで、チョコみたいなものを電車でわざわざあげにいったり、郵送をするというのはちょっと大げさな気がしてしまうから徒歩くらいがちょうどいい。

久しぶりに小学生の時みたいに家にいってチョコをあげることができて、懐かしい感覚に浸った。

(幼少期と違うことは、そのあと高確率で飲みにいってしまうこと)